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お知らせ

  • 2015年03月30日 古典に学ぶ 滝の奇人/蝉とりの男
  • 【滝の奇人】

    孔子が呂染にでかけた時のことである。滝がなだれおち、しぶきをあげる急流は三十里もつづいていた。亀や魚でさえ、とても泳げたものではない。と、一人の男が浮き沈みしている。孔子は歩みよってたずねた。「この流れを泳ぐ秘訣を教えてください」。「いや秘訣など、別にありません。わたしは「故」から始め、「性」に長じて、「命」になっただけです。つまり、陸に生まれて陸にくらす。これが故です。水になれて泳いでくらす。これが性です。上手になろうとしなくても、上手になってしまう、これが命です」。

    (参考:奥平卓・大村益夫訳「老子・列子」):徳間書店

    【蝉とりの男】

    孔子が楚の国に行ったときのことである。林の中で1人のせむしがもち竿で蝉をとっていた。そのうまいこと、まるで拾うようだ。「実にうまい。何か特別な方法でもあるのか」と孔子はきいた。「あります。5、6ヶ月練習して、竿の先に土だんごを二つのせられれば、失敗はほんの少し。三つのせられれば失敗は十に一つ。五つのせられれば蝉はまるで拾うようにとれます」。孔子は弟子を顧みていった。「一つのことに精神を集中すれば、神のようになるものだ」とはこの人のことだろう。

    (参考:奥平卓・大村益夫訳「老子・列子」):徳間書店